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金沢方式を経験した本人(I・Nさん)の手記
「独 力で生きるために」

私は今20歳です。

 長いようで短い気がします。おそらくは私をここまで一生懸命育ててくれた
両親のほうが、一層そう感じているのではないでしょうか。

 障害を持つ子ども(難聴だけでなく)が、普通の子どもと同じ条件で普通小学校に通い、生活していくということは客観的にみても、とても 大変なことだと私は思います。

 普通の子と同じようにやるということは、ハンディを克服する努力をしなければなり ません。それを両親は私が普通小学校へ行ってもついていけるようにと、学校へあがるまでにそれ相応の教育をするという形でやっ てくれました。

 そのことについては両親が書いているので敢えて書くのは止めます。ただ私がそれをやってきて、どう思ったかについて書 いてみます。

 なにを教えてくれたかは殆ど思い出せません。思い出すのは、厳しくて怖い鬼の ような母の顔です。子ども心に勉強はいやだなあと思いましたが、母の熱意に圧倒されていやだなんてとても言えず、しぶしぶついていっ たように思います。

 母にはだいぶヒステリック(?)に怒られましたが、それを恨みに思ったことはありません。反対に、両親が努力をおこたって普通小学校に行けなかった場合の私を思うと、ゾッとすると同時につくづく両親に感謝するのです。

 もちろん、難聴というハンディを背負っていたわけですから、決して学校生活を順調に送れたわけではありません。小学校、中学校時代の半 分以上、いじめに遭いました。難聴でいじめに遭ったという話はあまり聞かないので、必ずしも難聴だけが原因だっ たとは今は思いません。

 自分の性格はもちろん、担任の先生、周りの人の理解のなさ、などにも原因はあったと思います。

 いじめに遭っていた頃の私の写真を見ると、どれも子どもらしい楽しさのない奇妙な表情をしています。ああ、この頃の私はつらい思いをし ていたんだなあと感じます。

 いじめのことでは私と同様、両親もつらい思いをしていたのではないかと思います。ひどいいじめに遭っても、ぐれもせず、登校拒否もおこさなかったのは、いつも両親が私を支えてくれたからだと思います。

 高校へ入るとき、「自分をいじめた人たちを見返してやる。」という気持ちがあったので、それをばねにして、受験勉強に励むことができま した。そして、無事希望する高校へ入ることができました。

 高校へ入って、良い友達に恵まれ、やっとのびのびする ことができました
(ちょっと、のびのびしすぎたかな?)。

 理科系という、女子の少ないコースだったので、あまり 多くの人とは交われなかったのですが、人づきあいの苦手な私にとっては、かえってそれがよかったようです。

 高校に入った頃から、昔から私を知っている人に「表情が明るくなってきたね。」と、言われるようになりました。

 大学へはろくに勉強もしなかったのに、入ってしまいました。高校の時、勉強しなかったつけがまわってきて、今苦しんでいます。

 大学へ 入ってから悩んだことがあります。しごく当然のことなのですが、友人の話が聞こえないということです。

 今まで、 私が聞こえなくても「こういうことを言ってたんだよ。」と教えてくれる友人がいて、受身でいてもいっこうに不自由しなかったのが、大 学へはいってからは、こちらから積極的に話かけないと、受身でいてはいつまでたっても話が分からないという事態 に陥ったのです。

 何もしなかったわけではありません。まず、難聴のことをわかってもらおうと、い ろんな人に自分のできる範囲で説明しました。

 でも、私は普通の人と同じように見えて、それほど不自由しているようには、友人に見えな かったのでしょう。

 「Nちゃんは耳が悪くても、普通の人と変わらないからいいじゃない。聾学校の人はもっと大 変だよ。」と、いうようなことばを何度も聞きました。

 中~ 高度難聴は一般に人には分かってもらいにくいのです。そして、私自身が それをしっかり把握しておらず、友人に難聴のことを分かってもらえることばをもたなかったのです。

 それで、周りはどんどん仲良くなっ ていくのに、私だけが取り残されていくような孤独感を味わいました。何でもいいからとにかく何かにすがりたいと 思いました。

 それで、昨年の秋から金大付属病院耳鼻科へ読話を習いに行き始めました。

 読話 がもっとできれば、他の人の話ももっとわかるのではないかという期待をいだいて。

 でも、読話には、これといったような勉強法はないの です。生活の中で自然と身につけていくものなのです。

 おまけに読話には限界があります。どうやら私はその限界に きているようでした。これ以上、人の話が分かるようにするということは、どだい無理な話だったのです。

 考えてみれば、私は難聴であることを、知らずしらずのうちに隠し、普通の人と同じようにふるまおうとしてきたように思います。障害を隠 すということは自分にとって不利なことだということに、ようやく最近になって気付きました。

 同じことをもう一 度聞けば相手がいやがるのではないか、自分勝手な人だと思われるのではないかと、体裁ばかり気にして、自分の「聞きたい」という素 直な気持ちを押し隠してきました。「無口で、ひかえめな人」というイメージが友人間で定着してしまいました。

 そのイメージを覆すことは容易ではないと思います。

 ようやく自分が損だということに気付いたばかりで、まだ、頭の中で思っているだけ で、実行の段階には入っていませんが、じっくり自分をふまえて他人にわかってもらえる努力をしたいと思っていま す。

 それは、誰のためでもない、自分のためなのです。

 今まで、私は両親にぶらさがって生きてきました。今も迷惑ばかりかけていま す。これからは独力で生きていかなければならないでしょう。でも、まだまだ甘い私です。

  両 親へ。「今までありがとう、そして、これからもどうかよろしく。」

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