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これまでを振り返ってMNちゃんのお母さん
卒業感想文集(2013年)

平成18年9月15日、Mは静岡県にて生まれました。新生児ルームですやすやと眠っているMを見ていて、お姉ちゃんとそっくり、良く寝る子だなと思っていたことを覚えています。退院の日になり、思い掛けないことを看護士さんから告げられました。聞きなれない言葉、新生児スクリーニング・リファー・再検査そして、「もう1度、1か月検診で再検査しましょう。正常かもしれませんので。」と言われ退院してきました。1か月検診までの間、まさかうちの子が聞こえないなんて、絶対に聞こえているはずなどと思いながらも、やはり不安な日々を送っていました。
そして、1か月検診の日。やはり、リファーという結果でした。その場で大きな病院の紹介状を書いて頂き説明を聞き、帰宅しました。自宅に着いた途端、涙が溢れしばらく車の中にいたことを覚えています。
生後2か月の時、浜松医科大学附属病院を初めて受診し、それから何度目かの検査で、「難聴」と診断を受けました。そして、生活指導を受けるため、浜松聾学校へ2週間に1度通うようになり、生後7か月の時、補聴器の装用が始まりました。しかし、Mは補聴器の装用を極端に嫌がり、装用を諦めました。
Mが誕生してから1年7か月の間、訓練というより聞こえにくい子供とどうコミュニケーションとっていくかということの指導を受けていました。

そして、Mが1歳7か月の時、主人の実家がある石川県へと移ってきました。引っ越す前に聾学校の先生が、石川県の聾教育について色々と調べて下さり、その先生から「Mちゃんには聾学校より金沢大学附属病院の言語外来を受診した方がいいと思いますよ。」と言われ、言われるがまま金大を受診することに決めました。この時、金沢方式というものがあることは、知りませんでした。

能登谷先生にお会いしたのは、Mが2歳になってからだと思います。そして、福祉会館へ見学に行きました。この時、見学に行ったものの、金沢方式がどういうものなのかまだ理解しきれていませんでした。2回目の見学の時、その時の幼児班の会長さんに、「この訓練やってみる?何か心配なことある?みんな最初は分からない事だらけだよ。この訓練を選んで間違いは無いよ。やってみたら。」と声を掛けて頂き、金沢方式で訓練させて頂こうと決めました。きっと、この時声を掛けて頂けなかったら、今、私達家族は、この場に居なかったと思います。

Mが2歳6か月になる頃、金沢方式での訓練が始まりました。訓練を始めた当初から、まず私自身が金沢方式を理解するまで、約1年ぐらい掛かったと思います。なぜなら、これまで自発している言葉は理解している言葉だと思っていたし、家族の中では、会話が成り立っていると、思っていたからです。Mにとって、この訓練は本当に必要なのか、軽度難聴だからそんなに心配しなくていいのではないか、などと思うときもありました。しかし、個別指導の時やこの福祉会館で、先生方や先輩方の経験などのお話を聞いて、やっぱりMにこの訓練は、必要なものだと思う事ができたのです。

訓練開始から1年が経つ頃、集団での生活、社会性も身に付けていって欲しいという事で、幼稚園への入園を決めました。入園当初から、幼稚園が楽しくて仕方ない様子でした。園の先生方もとても親身になって考えて下さり、Mにとって最善の方法を一緒に考えて下さりました。
年長の秋から、補聴器を装用して生活することを決め、親としては、イタズラされないかとても心配でした。しかし、その心配は無用でした。雨が降り始めると、クラスの子供たちが「Mちゃんの補聴器!濡れちゃう!」と手をかざしてくれたり、雪遊びの時には、「Mちゃん、補聴器濡れない?大丈夫?」と声を掛けてくれるお友達もいたそうです。幼稚園全体で支えて頂き、感謝しております。

Mが生まれて6年。金沢方式と出逢って4年。諦めないでよかった。諦めずにこれたのは、的確なご指導、親身になって話を聞いて下さる先生方がいて、幼児班の皆さんがいたからだと思います。有難うございました。

最後になりましたが、能登谷先生、原田先生、橋本先生、この4年間ご指導有難うございました。先生方と出逢うことができ、Mだけでなく、家族みんなで成長することが出来たと思います。まだまだ多くの事を学び、成長していきたいと思いますので、これからも、ご指導宜しくお願い致します。

M、今までよく頑張りましたね。お母さんは、Mから沢山のお手紙をもらいました。そのお手紙には、必ず「ありがとう」と書いてありました。その、ありがとうという感謝の気持ちを、いつまでも忘れないで成長していって下さい。



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