HOME > 金沢方式体験記6

main_top.png

3歳で人工内耳を装着して
H・S君のお母さん

私が初めて人工内耳という言葉を知ったのは、息子が1才6ヶ月の時、高度難聴であると医者から診断された、直後でした。
「希望を捨てちゃいかん。もし、補聴器で効果がなければ人工内耳という手もある。」と、医者に言われ、私は、難聴について全く知識がなく、
「なぜ、希望を捨てなければならないのだろう。聞こえないということは、希望を捨てなければならないことなのだろうか。」と、不思議に思いました。

  一般的に、「手術をすれば、話せるようになる。」という言われ方をしたり、「幼児が自分では判断できないのに、手術すべきではない。」という議論がなされ ていると聞いています。金沢大学附属病院で指導を受けておられる方は、十分なお話を聞いておられると思いますが、ここに、息子を見ていて私が感じたことを 記したいと思います。

 息子が難聴と判ってから、数ヶ月間、夫は聴覚障害に関する多くの資料を読み続けました。そして、2ヶ月後、金沢大学附属病院を知り、両親で相談し、ここで指導を受けることにしました。
 
 私は、それまで全く手話を知りませんでした。それで、私自身少しずつ手話を覚えて、覚えたての手話で息子に話しかけました。最初は、単に私の手話の真似だったのに、だんだん息子は、手話で気持ちを表現できるようになりました。

  息子は1歳頃、発達に遅れがあり、いつもおとなしく座っているだけでした。しかし、手話を覚えてからは、あちこち、指をさして、「何?」ときき、私に説明 を求め、文字を知りたがるようになりました。自分の周りにある何もかもが面白くて、知りたくてたまらなくなったようです。
 
 1才10ヶ月頃から文字を覚え初めると、だんだん自分から文字付き絵カードを見たがるようになりました。特に 新しいカードを見るのが好きでした。
できたてのカードを、分類する前に汚されたくなくて、「食事中だから、後にしなさい。」と、私が言えば、「御飯、おしまい。」と、息子は食べるのを辞めてしまうほどでした。

  息子が文字を覚え初めて、2年になります。喜びも沢山あったけれど、短気な私は、イライラしてしまう時もありました。特に、出かける用事がある時や、昨日 できたと思っていたものが今日は全くできない時など、私はイライラし、「やめよう。」と言って、文字の説明の途中でも、立ち上がろうとしました。そんなと き、息子は「判りたい。」と手話をし、私に説明を続けさせようとしました。

 子供は幼児期、自分の周囲の沢山のことを知りたいのだと思います。

 寝てるだけだった赤ん坊が、ハイハイをし、周囲を探検し始めます。つかまり立ちをして、好奇心あふれる瞳で周りを見回しています。どの子も、知りたくてじっとしていられないのでしょう。

 息子は3才3ヶ月の時、人工内耳の手術を受けました。手術を決める前、私は人工内耳について、息子の意見を聞いてみました。

 人工内耳の写真を見せて、
「何だと思う」と訊ねると、
「補聴器」と、息子は答えました。
「少し違うの。ここを切って、中に入れるの。欲しい?」と私がきくと、
「いや。」と息子の返事。
「寝ている間に入れるから、痛くないよ。病院に泊まって、寝ている間に入れるの。」と、絵を見せながら説明すると、息子は遊んでいるのをやめて、絵を眺めました。
「良く聞こえるよ。欲しい?」と、もう一度きくと、
「欲しい。」と、息子の返事。
「いや?」と、私がきくと、
「大丈夫。」と、息子。
「怖い?」と、私がきくと、
「大丈夫。」と、息子。

 そして、息子は手術を受け、人工内耳の音を手に入れました。

 音入れの時、息子は、初めて音が聞こえると、にこにこ笑い、マッピングの音に合わせて、頭を振って遊んでいました。聞こえることが、よほど嬉しかったのでしょう。

 音入れ後1ヶ月くらい経った頃、姉が聞いていた童謡のカセットテープを勝手にとめ、姉から文句を言われていました。私が仲介に入り、
「なぜ、勝手にテープをとめたの」と、きくと、
「僕はミニカーのサイレンの音が聞きたい。」と言ったので、
とても驚きました。 補聴器を装着していた頃、息子は、音遊びが苦手でした。その息子が、「音を聞きたい。」と、初めて手話でいいました。

 補聴器を装着していた時、息子は読話も苦手でした。その息子が、最近は耳で聞こえる言葉にも、興味を持ちはじめたようです。

 音入れ後、3ヶ月くらいたった頃、息子が、ブルドーザーの絵カードを持ってきて何かたずねるので、
「地面を平らにするための車で・・・」と、私が手話で説明を始めたら、
「ママは言って。」
と、息子が頼んできたのです。

 つまり、口で何という物なのかをきいてきたのです。 補聴器を装着していた時には、考えられなかった変化です。

 今、息子は、私の言う言葉をまねて、一生懸命、言葉を覚えようとしているようです。

 そして、町中でバスを見かけるたびに「バス」と覚えたての言葉を連発し、兄弟げんかすれば「違う」と口で言い、ママに甘えたい時は自分を指さして「甘えん坊」と言うようになりました。

 息子は、手話とも書く文字とも違う新しい言葉、つまり、口で話す言葉を面白いと思っているようです。

 金沢大学附属病院で、指導を受けていた男の子が、人工内耳の説明を聞いたとき、
「欲しい。」と答えて、
「傷口は小さく、血は少しにして、とお医者さんに言って。」と、手話で母親に頼んだと聞きました。

 また、別の子は、友達のK君が人工内耳を装着後、口話と読話が上手になったのを見て、
「K君と同じ、良く聞こえる新しい補聴器が欲しい。」と、手話で母親に頼んだとも、聞いています。

 この子達は二人とも、息子と同じ100dB以上の高度難聴です。

 このように、重度の難聴の子供が、幼くても、
「手術をして聞こえるようになりたい。」と、自分の意志を手話で表現したという体験談を、私はいくつも聞きました。

 聞こえるようになり、色々なことを知りたいと、子供は素直な気持ちで思うのでしょう。

 やはり100dB以上の3歳の難聴の女の子は、音入れ後、人工内耳のスピーチプロセッサーを、とても大事にしているという話もききました。毎朝起きると、まず、スピーチプロセッサ-に向かって
「おはよう」と、話しかけ、寝るときは、自分で丁寧にかたづけて、
「またね、バイバイ。」と挨拶するそうです。

 重度の難聴の子供にとって、人工内耳はとてもありがたい機械です。

 息子の場合、手術後4ヶ月たった時、埋め込んだ機械を転んで壊してしまい、再手術を受けました。手術を2度も受けることになってしまったけれど、聞こえて嬉しそうな息子の様子を見ていると、
「手術をしてとても良かった。」と、私は思っています。

本書をご希望の方は、書籍の案内をご連絡下さい。

ページトップへ↑

main_bot.png