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6年間を振り返って MYちゃんのお母さん
卒業感想文集(2013年)

Mは、平成18年10月26日、予定より6日遅れで生まれました。病院で入院中にされる新生児スクリーニング検査で再検査と言われ、うまく検査が出来ないこともあるから、1か月検診でもう一度検査しましょうと言われました。そして、再度受けた検査で産院の小児科の先生から大丈夫でした、聞こえていました、ということを言われました。聞こえていると言われたことで安心して、それからは初めての子育てをしながら毎日を過ごしました。けれども、2か月、3か月と過ぎていく中で、ガラガラを鳴らすなどしても音に反応しないことでまた心配になり、3か月検診で相談しましたが、その時、ガラガラの方になんとなく顔を向けたので、大丈夫ですよ、と言われました。それでも気になり、毎日、ガラガラを鳴らして過ごし、その後、耳に湿疹が出来て、近所の耳鼻科に通ったので、そこでも耳が聞こえているか心配だと相談すると「大学病院に紹介状を書きますよ。」と言われて紹介状を書いてもらいました。   
そして、大学病院でABRの検査を受けましたが、まったく反応なしで、難聴の診断を受けました。難聴の診断はとてもショックでなかなかうけいれられませんでしたが、聞こえているかいないかと不安だった期間は、毎日もやもやした気持ちでいたので、難聴と言われて、やっぱりそうかと少しスッキリした気持ちもありました。   
私の両親と主人の両親と私たち夫婦の6人でMを連れて耳鼻科を受診し、その日、予約はしていませんでしたが、言語外来で診てもらえることになり、初めて能登谷先生とお会いしました。能登谷先生のお話を聞き、ろう学校へ行くか、金沢方式での訓練をしていくかとの話を聞いて、家族みんなが、能登谷先生のもとで頑張っていこうという気持ちになりました。   
そして、生後5か月、補聴器を付けて金沢方式での訓練を始めました。生活の中でジェスチャーで刺激をしながら、親子のコミュニケーションを取り、物のやり取りや使い方を見せたり、いろいろな音を聞かせながら言葉を教えていきました。 
 Mは今でこそ活発に動き回っていますが、この頃はいつも私のそばにくっついて、じっと周りを見て、今と比べると大人しく過ごしていました。いろいろと言葉を教えながら、初めは見ているのかいないのか、分かっているのかいないのかすらも分からないでいましたが、刺激を続けていくうちに、Mからジェスチャーをするようになりました。おなかの前で両手を動かして、最初は何をしているのか分かりませんでしたが、ワンワンのジェスチャーをしていたこと、アンパンマンのジェスチャーをするようになったときは嬉しかったです。ジェスチャーと聴覚で刺激しながら、文字の刺激をして、言葉を増やしていきました。  
2才2か月で初めて助詞の表出が出ると、どんどん助詞が出るようになり、親子でのジェスチャーも、文でのやり取りが出来るようになりました。そして、2才3か月で、人口内耳の手術を受けました。その時のMが理解できる言葉で説明はしましたが、手術を決めたのは私たち親です。能登谷先生からも、親が望んで手術をした以上、責任を持って子供にしてあげなければいけないと言われるように、ひとつでも沢山の言葉を伝えて、私たちと同じように誰とでもコミュニケーションがとれるようにしてあげたいという気持ちです。  
人口内耳の手術をする間近になり、主人の仕事で新潟への転勤が決まりました。訓練の大事な時期であり、単身赴任という方法もありましたが、やはり家族は一緒にいたほうがいいという思いから、家族で新潟で生活することにしました。違う土地での生活は心配もありましたが、新鮮さもありました。毎週、往復8時間、車に乗っているのはMもぐずって難しく、移動は毎回、Mが寝ている夜中にしました。今、振り返っても、大変なこともありましたが、新潟の人もみんな親切で居心地もよく、Mにもいろいろな刺激にもなり、楽しい日々でした。まだ一人っ子で、母とべったりの生活でしたが、社会性なども身につけてほしいと思い、年少から幼稚園へ通いました。不安もありましたが、園の先生方がとても協力して下さり、相談しながら楽しく幼稚園生活を勧めることができ、いろいろな経験もすることができました。
 Mが年長になった6月、妹が生まれました。この頃から赤ちゃん返りが始まり、不安定になったり、わざと反抗したりするようにもなりました。できるだけMとの時間を優先するようにしましたが、妹も難聴であり、2人それぞれの時間をうまく取るのが難しく、とても大変な時期が続きました。まだ幼い面が多いですが、桃彩もいろいろな思いをしながら、少しずつ成長してきていると思います。  
私自身も、いろいろ悩んだり、訓練がうまくいかなくて、焦ったりしたことも沢山ありましたが、福祉会館に来て、他のお母さんたちと話をすることで今まで頑張ってこれました。本当にありがとうございました。  
家族のみんなにも、とても協力してもらい、感謝しています。主人やじいちゃんばあちゃん、みんながMを思い、理解して協力してくれたおかげで、今まで続けてこれたのだと思います。
 最後になりましたが能登谷先生、お忙しい中を今までご指導してくださり、本当にありがとうございました。能登谷先生にお会いしていなければ、今のMはありませんでした。先生には、訓練のことだけでなく、悩んだりしたことなどでも相談させせて頂き、話を聞いて頂き、精神的にも支えて頂きました。橋本先生、いつも遠くから来て頂き、病院や福祉会館でもお世話になりました。原田先生にも幼少期の大切な時期に大変お世話になりました。先生方のおかげで、Mも私たち家族も成長してこれたのだと思います。  
今、ひとつの区切りを迎えただけで、難聴であることに終わりわなく、これからが本当のスタートだと思っています。これからも家族で頑張っていきたいと思っていますので、ご指導よろしくお願い致します。  
Mも今まで本当によく頑張ってきたと思います。妹が生まれて淋しい思いをしたこともあったと思うけど、妹のこともよくかわいがってくれてありがとう。これからも家族仲良く頑張っていこうね。

MYちゃんの作文
能登谷先生、橋本先生、原田先生、今まで沢山の言葉を教えて下さってありがとうございました。   
私は本を読むのが大好きになりました。小学校へ行ってもおもしろい本を沢山読みたいです。
それから小学校に行ったら、なわとびで2重とびをがんばります。  
小学校へ行ったら友達と楽しく遊びたいです




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